自己愛性人格障害について、被害者の立場でのブログ

自己愛性人格障害と出会ってターゲットにされてから離れるまで。自己愛性人格障害との離れ方・逃げ方・別れ方。

自己愛性人格障害のこと(リアルに)

自己愛性人格障害(自己愛性パーソナリティ障害)のことを調べると、

決まって出るのが以下の記述。

 

1. 自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3. 自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4. 過剰な称賛を求める。
5. 特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6. 人間関係で相手を不当に利用する。つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7. 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない。
8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9. 尊大で傲慢な行動、または態度。

 

でもこれって、「こういう人よくいる」「自分もそうかも」みたいに思えますよね。

実際の自己愛性人格障害者のことは、こんな簡単な説明で想像できるものではありません。

 

これは自己愛の性格の特徴をまとめており、5つ以上当てはまるかどうかで診断されるようですが、

実際の自己愛の症状は、「性格」とは別次元ではないかと感じます。

上の各項目の最初に、「飛び抜けて」と付け加えると近くなる気はしますが。

 

私が出会った自己愛性人格障害の人は、あまりに強烈な人物でした。

また、ネットで実際に被害にあった人のブログを見ても同じく強烈なことが想像できます。

ターゲットにされた多くの人が、

人格障害のことなど知らなくても「異常」と感じ、

「人間じゃない」「別の生き物」「モンスター」「悪魔」という表現も少なくありません。

普段は常識人なので、こんな人が社会で生きているのか、と、

驚きと、その異質性に恐怖を覚えます。

 

人格障害がどうゆうものなのかは、被害にあった人じゃないと分からない、

とよく言います。

実際の人物に触れないと、想像できないのも無理はありません。

だって、「当たり前」がないんです。

 

多くの人は、ある程度生きていると、いろんな人が、いろんな価値観で、いろんな生き方をしていることを知りますよね。

そして多くの人と出会うことで、知らず知らずのうちに、

人間とは大体こうゆうものだ。変な人もいるけど、それを含めて大体こうゆうものだ、と思うようになる。

 

でもその「人間」の枠を平気で逸脱し、かつ社会に馴染みながら(むしろ評価されながら)生きている人がいます。

 

言葉で表すのは難しいけれど、どんな悪い人でもほんの少しは持っていそうな

「良心」「罪悪感」「他人を思う心」が根っから皆無に感じます。

彼らは、ただ「形」として、普通の人の振る舞いを学び、真似しながら生活する、

普通とは別のルールで生きている人間。

そう考えるほうが、「普通の人間が変わってしまった」と考えるより近い。

 

目の前に、見た目は同じ人間なのに、まったく別の思考回路の生き物がいる。

自分はそれと話をしている。そう思った瞬間の恐怖と絶望感は、いえません。

 

自己愛の問題点は、「嘘」や「虚栄」、「自己中」、「ナルシスト」、「嫉妬」「嫌がらせ行為」ではなく、異常な思考回路そのものです。

相手を困らせてるということも、自分が悪いことをしているということも、

自分がハッタリを言っているということも、感じることができないんです。

 

調子が良い時は、いかにも本音っぽく、

自分が悪い、傷つけた、嘘だった、とか言いますが、その姿を知ってしまえば

信用などできるはずがありません。

おそらく次の瞬間から、自分が優位に立つための思考か行動を始めているでしょう。

 

自己愛性人格障害の行動パターンが、皆同じなのは、

その独特な思考回路の結果ではないでしょうか。

 

自己愛の具体的な行動は、別のカテゴリで紹介するつもりです。