自己愛性人格障害について、被害者の立場でのブログ

自己愛性人格障害と出会ってターゲットにされてから離れるまで。自己愛性人格障害との離れ方・逃げ方・別れ方。

自己愛性人格障害の男と離れて、その後。

3年半、がんじがらめにされた自己愛のAと離れて1年が経過しようとしています。

 

私は仕事は家でしていて、その仕事をとってくるのもA。

毎日Aとべったり過ごし、A以外の人には会えない。たまに、2カ月に1度程、友達と会うだけ。

もちろんAは穏やかではない。

ささいなことでキレ、耳を疑うような暴言をはき、私を人だと思っていない。

どんなに好きだと言われ、優しい言葉をかけられても、Aの愛は感じない。そんな感情をAは持っていない。

歪んだ思考回路や非常識な行動・発言。それと私は3年半の長い時間を過ごしました。

 

初詣に行けばAと離れれることをお祈りし、桜が咲けば来年こそAと離れ心に春がくるようにと願い、夏がくればAさえいなければどんな楽しい夏だろうと、1年中、離れられない苦しさを味わっていました。

毎日のように泣いて、心が折れては持ち直す繰り返し。そのうちに、もう何も感じたくなくて心を無にしました。そうでないと自分の心が壊れる。鬱や、狂気になる恐怖が目の前にありました。

 

自己愛のターゲットになった人は、後遺症に苦しめられるといいます。

そんな日々を過ごした後、果たして私は通常の心を持って生活ができるのか?

 

逃げたあと、やはり少しの間は人と知り合う度に「この人も人格障害じゃないか」と疑い、心を開きませんでした。もともといた男友達でさえ、疑う始末。

逃げた先に知り合いは一人もいなかったので、少し孤独な時間を過ごしました。それでも、一人で自由に動けることが本当に幸せでした。

 

もともと人と接することが好きだった私は、その土地の人懐っこい人たちと話すうちに、心を開き、結局2週間ほどで元気な私を取り戻しました。笑

 

それどころか、今までたまりにたまったストレスを発散するかのように、自分のものではなかった3年半を取り戻すかのように、楽しみました。

 

もちろんAのことを思い出したり、探されてないか不安になったり、人格障害っぽい人に敏感にはなりましたが、後遺症というほどのものはありません。

 

 Aのことを、恨んではいません。

憎い存在であり、恐怖であるけれど、考えたくないからなのか何も思いません。できれば幸せなればといいんじゃないと思ってます。

 

失ったものは多いけれど、得たものも多いと今は思います。

助けてくれた友達の存在、自分らしく生きれることに対する感謝。優しい人の心。

一線引かないといけない人種がいるということや、私と同じように苦しんでいる人がいるということを知ることができました。

 

今はいろんなものに素直に感謝することができます。

年が明けてお祝いをして、春が来て桜を穏やかな気持ちで眺めて、これから来る夏を楽しみに待つ。四季に数年なかった喜びを感じます。

友だちに会いたい時に会え、彼氏を作ることもできます。

よく考えると当たり前のことなんですけど、「失ったり、苦労して本質に近づける」と何かで読んだ、そういうことかなと思っています。

 

Aが追ってくる可能性0じゃないのでまだ油断はできないけれど、私は幸せです。

自己愛性人格障害の被害ににあってる方、離れれば、きっとターゲットにされる前以上の幸せを取り戻すことができますよ。